Activity2017年度の活動内容

エヤップへ研修生派遣

難民への取り組み・国連訪問 新たな世界に目を向ける
オーストリア外務省・在オーストリア日本大使館訪問 様々な貴重な体験を
若者らしい感性で見つめたオーストリア及びエヤップの報告

2月17日から26日までの9日間、6名の大学生が姉妹団体であるオーストリアのエヤップに派遣された。(『友愛』546号・3月号一部既報)。大学も学年もまちまちな6名は、協力しエヤップの用意してくださった多彩な研修内容を全てこなし、元気に帰国した。
6名の大学生が、それぞれの言葉で綴る報告記をお届けし、この事業の報告としたい。(掲載順不同)

ウィーンでの出会い
東北大学 法学部3年 坂本卓哉

ウィーンを訪れて、私はそこに住む人々がとても印象的でした。国際色豊かで、街中では至る所で様々な言語が飛び交っています。一目では誰がどこの国の出身か、判別できません。実際に現地の人と話してみると、ウィーン出身だという方にはあまり会いませんでした。ドイツ、クロアチア、イタリア、トルコ、シリア、中国、他にも世界中から人が集まっています。
私が特に印象的だった出会いは2つあります。
ノイマルガルテンという老人ホームと幼稚園が組み合わさった施設のスタッフやそこにすむ人々、職業訓練場でドイツ語の授業を受ける難民の方々との出会いです。
前者について、私は真剣に話をしてくれたスタッフのマティルダさんの目と笑顔が忘れられません。オーストリアの介護状況や難民の受け入れ状況など、私たちが質問すると、彼女はしっかりと、的確に、そして被介護者や子供たちへの優しい気持ちをいっぱいにして答えてくれました。オーストリアでは日本ほど、介護士不足に悩まされていないということには驚きました。しかし、それは外国人労働者で補っているからこそ、成り立つものだということでした。彼女のその目は事態を重く見つつも、時折見せるその笑顔は、心からの慈愛を感じました。施設には運動の時間があります。椅子に座りながらダンスを踊るというもので、意外と体力を使い、いい汗がかけます。楽しい振り付けで、誰でもできる簡単なものでした。陽気なおばあちゃんを講師に、見よう見まねで、聞いたことのある音楽に合わせて、手足を動かします。20分程の短い時間でしたが、元気をもらえました。
後者について、ドイツ語の授業を受ける方々にはシリア周辺から来た人が多かったです。私はドイツ語を2年程、大学で学びましたが、話すことに関しては彼らには敵いません。授業は生徒と先生の掛け合いが多く、笑いが絶えませんでした。授業が終わると、私はいくつか尋ねました。「ご飯が恋しくないですか」といった簡単なものから、「故郷に戻りたいですか」といった難しいものまで。人によっては不快に思う質問も、彼らは真摯に答えてくれました。「私たちの主食は米ではないから大丈夫」「もちろん帰りたいです。私たちが戦争で破壊された街を立て直すのです」と。その言葉と表情は今も目に焼き付いています。
今回の訪問での出会いはすべて一期一会でした。
プログラム中、常に私たちを導いてくれたリサ・フィッシンガーさん。時間の合間を縫って会ってくださった多くの方々。ホテルの受付の気のいいお兄さんたち。私はどの出会いも忘れることはできません。今回の出会いが、私の成長と新たな出会いに繋がると信じています。

9日間の感想
岐阜大学 医学部医学科1年 林有里紗

ウィーンで過ごした9日間は、私にとって様々な方面から学びを深めた、かけがえのない時間として刻まれた。
「百聞は一見に如かず」ということわざがあるが、まさに今回の事業をよく表していると感じた。通常の旅行では決して訪れることのできない場所をも訪問させていただき、私に貴重な機会を与えてくださった友愛ならびにOJABの方々に感謝したい。
そんな充実した9日間を、私は移民・難民対策の観点でまとめてみようと思う。主にBPI der OJAB(以下BPIと表記する)とOJAB本部、そしてオーストリア外務省にお伺いした際に学んだことを中心に述べておきたい。
OJABは主に青年、高齢者、教育・融和の3つの分野で活動する非営利団体である。そしてBPIはそのOJABが運営する、恵まれない人々や難民のための職業訓練学校のような施設であった。
BPIでは施設の説明を受けた後、突然ドイツ語の授業を見学し、参加することになり、生徒との交流の機会も与えられた。その後は金属加工、ガラス加工、電気などのコースの職業訓練を見学し、少し体験もした。OJABが掲げる、どのような社会的背景をもつ人にもチャンスを与え、学びを支援するという目的をまさに体現した活動であると感じた。しっかりした指導者のもと、コース別の認定を得られればそれを確かな自分の武器にできるというのは、単純なシステムだけれど就職と自立を目指す人々にとって非常に重要であるはずだ。
そして融和し職を得て働く上での大前提となるのがコミュニケーションである。ドイツ語の教室にはシリアをはじめとする多くの難民、移民がいて、私からすれば流暢なドイツ語を話していたけれど、そこに至るまでに彼らが必死に努力してきたのだと考えると、当たり前のように自国で生活できる自分たちがどれほど楽に生きているのかに気づかされた。交流時間が短かったため、彼らの境遇についての質問をすることに躊躇したことは心残りである。
その日の午後訪れたOJAB本部では、OJABの活動についてのプレゼンテーションを聞き、BPIで体験してきた教育・融和の分野に対する理解を深めることができた。
だが、私はこの時点でまだ、ここでの話がその後訪問したオーストリア外務省でつながってくるとは思ってもいなかった。
オーストリア外務省の主な役割として、国境の安全を守る、合法な移住方法を制定するなどが挙げられ、やはり移民や難民の問題が重視されているのは明らかだった。ドイツ・オーストリア・スウェーデンが主な受け入れ国であり、リビア・シリア・旧ユーゴスラビア諸国からの移民が多いこと、それでも国民の80%は移民ではないことなど、詳細に説明していただいた。ここでもOJAB同様“調和”というキーワードが出たが、驚いたのはそのために言語と教育が重要だということだった。これはOJABと全く同じ考えであり、BPIで言語と技術の教育がすでに進められているのを知ったばかりの私は、今後の移民・難民対策への期待を感じずにはいられなかった。一筋縄ではいかないが、官民両方からアプローチするのは大切だと思う。
このように、移民・難民対策に焦点を当てたが、多方面から得るものが多かった9日間であった。今回の旅を生かして、他のヨーロッパ諸国を訪れるとき違う見方ができるのではないかと思う。

ウィーン研修日記
早稲田大学 政治経済学部政治学科3年 荒石浩司

初日。距離約9000キロを超えて、はるばるやって来たオーストリア・ウィーン市。なくさないようにパスポートを握りしめるのがやっとの私に対して、飛行機で隣り合った見知らぬ外国人に「Are you Austrian? Uh huh?」と流暢な英語で話しかける慶応大学医学部1年佐藤。積極的な国際交流に圧倒された。
2日目。ウィーン大学で日本語学を専攻している美人ガイド、リサに連れられてウィーン市内を観光する。ギリシャ様式、ロマネスク様式、ゴシック様式など伝統的建築様式が混在している街に、路面電車が横切る風景が優雅である。感動して路面電車の写真を撮りまくっていたら、鉄道オタクの撮り鉄扱いされてしまった。
3日目。引き続きウィーン市内を観光する。午前中はマリア・テレジアの生家であるシェーンブルン宮殿、午後はプラーター遊園地を巡った。プラーター遊園地にある大観覧車はウィーンのシンボルとなっている。遊園地内に併設されているマダム・タッソー館で、ジャスティン・ビーバーやトム・クルーズとパシャリ。
4日目。今回の研修派遣受け入れ先であるオーストリア勤労青年連盟OJABが運営する老人ホームを見学した。日本の老人ホームは、高齢者が一人で出歩くリスクを考えて、活動を制限する印象があるが、OJABでは、幼稚園を併設したり、庭があったりと可能な限り入居者の自由を追求している。世界中から入居希望者が集まるというのも納得である。としみじみしていたら、急遽折り紙教室が開催され、日本人の私たちは講師を命じられる。鶴やパックンチョを器用に折れる女子とは違い、何も折れない私は大弱り。急ごしらえで紙飛行機を作成したものの、当然上手く飛ばないので腕力で補い、遠くに飛ばした。
5日目。本日の予定は、ウィーンの市場を見学した後、JTのオーストリア支社職員Schusterさんと昼食会。煙草はカフェと同じように文化を彩るものとして認知されているという話を聞き、確かにオーストリアでは路上喫煙に対して寛容であると納得した。昼食は、高級レストランでステーキを頂く。この時ステーキをよほど美味しそうに食べていたのか、OJAB職員ペトラさんに、肉が好きなキャラクターとして認知される。
6日目。日本大使館で小井沼オーストリア特命全権大使とお会いする。「オーストリアは観光立国ではなく、実は産業立国であり、日本と似ている。日本との観光客の行き来が少ないため、そこを強化したい」というお話が印象に残った。
7日目。午前はOJABの難民や若者を支援する学校やOJAB本部を見学した後、午後はウィーンの大学生とアップルパイ作りをした。OJAB職員を交えたイタリア料理店でのランチ会で、ペトラさんに満面の笑みで「you like meat, uh huh」と言われる。どうやら、肉主体のイタリア料理を僕の代わりに注文してくれそうな雰囲気。しかし、ピザが食べたかったので、「Pizza! Pizza!」と断固主張。結果肉入りのピザを獲得する。
8日目。ウィーンの国連事務局を訪問し、CTBTOのゼルボ事務局長にお会いすることができた。「若い世代の国際交流が重要だ」というお話は、今回繰り返し耳にした。海外にあまり関心を持たずに、大学生活を過ごしてきたが、世界に目を向ける重要性を実感した。
濃密な9日間を過ごせたのは、紹介者の谷藤悦史教授と、主催して下さった友愛の皆さんのおかげです。同行した5名の仲間にも感謝しています。
ありがとうございました。

オーストリア研修報告書
東北大学 法学部3年 戸澤春奈

「無知の知」自身が今回のオーストリア研修を最も簡潔に表すとしたら、この一言を用いるのがふさわしいと考える。どこかで聞きかじった程度の知識ではあるが、ソクラテスのこの言葉は、「知らないということ」を知ることが、真の認識に至る道であるという意味であるという。今回の研修は、自身の知識や思考に対する認識を変える経験が多く、それと同時に自身の甘さを痛感したものであった。
私自身は幼少期をスペインで生活した経験から、オーストリアもヨーロッパである以上、およそ同じ雰囲気であるのだろうと想像していた。しかし、建物にほどこされた装飾や彫刻、慎重に設計された道路、隙間なく立ち並ぶ色とりどりの建築物はバルセロナでみた光景とは別物であり、市内観光を通して、異なる歴史や外国との関係から築かれた東ヨーロッパ独自の文化を垣間見ることができた。特に印象的であったのはシュテファン寺院である。荘厳な石造りの教会の屋根に、緑や黄色の鮮やかな色と模様がほどこされており、それらが違和感を抱かない程絶妙に合っている、その色彩感覚がどこから生まれたのか不思議でならなかった。
エヤップの施設に訪問した際に、移民や難民である若者向けのドイツ語の授業に参加し、彼らと交流する機会があった。彼らの発言から、日本のイメージは先進技術や、漫画、アニメなどのサブカルチャーが強いものの、中国や韓国との区別がつかないアジアの国というぼんやりした認識であるように感じ、自国を理解されていない気がして少し残念な気持ちになった。しかし、私が抱いたその感覚はまさに、私がオーストリアをヨーロッパ圏の一国として捉えていたのも全く同じことであることに気が付いた。少量の知識に満足し、真の姿を知ろうという思考を放棄してしまうことの危うさを感じた瞬間であった。
私がオーストリア研修で特に関心を抱いたことは、難民問題の現状であった。戸澤教授の国際関係論演習で中東の問題に焦点を当てて学んだため、難民問題に関する新聞記事等を目にしていたし、今回の研修に臨むにあたり、難民問題に関する新書も読み予備知識を備えてきたつもりであった。しかし、実際にオーストリアを訪れてみると、各訪問先で、遠い日本の地では全く感じることがなかった難民流入に対する他人事ならぬ緊迫した空気や、問題の深刻性を肌で感じることができた。 例えば、エヤップが運営する老人ホームでは既に元難民の老人家族を受け入れ始めていたし、オーストリア外務省やエヤップのペトラ氏によるプレゼンテーションから、オーストリアがそれぞれの立場でいかに難民の人権確保と国内の治安の両立に尽力しているかを理解することができた。またもや書物からの知識に満足し、少し知ったつもりになっていた自分の甘さを痛感した。
国連訪問ではCTBTO(包括的核実験禁止条約機関準備委員会)のオフィスに伺い、日本人職員3名が分刻みの多忙なスケジュールの中、世界中の人工的な地震やガスの拡充などから世界中の核実験の様子をリアルタイムで把握していることを解説してくださった。国連職員になることを志望している自身にとって、この訪問は世界の問題解決に携わる国連の魅力を一層感じるものとなり、非常に貴重な機会であった。また、自身が日々過ごしている安定的な生活は、見えない部分で平和を提供する存在によるものであると改めて感じた。
今回の研修では、他国や抱える課題について理解するためには、現状に満足せず、自分が「知らない」ことを自覚した上で「知」を追求し続けること、また、実際にその国の空気に触れることが重要であるということを痛感した。学生の身分では訪問し難い場所への訪問など、このような貴重な研修の機会を与えてくださった友愛に心からの御礼を申し上げたいと思う。
今回学んだ事を、残りの学生生活やその後の社会人生活に生かしていきたい。

9日間の感想
早稲田大学 政経学部3年 田島莉子

わたしにとってこの9日間は、一言で言えば未知との遭遇にあふれた毎日でした。1週間強という短い期間ではあったものの、出発前はオーストリアへのフライト前日に初めて会ったメンバーと共に過ごす日々への期待と不安でいっぱいでした。しかしその不安はすぐに消えてなくなり、素晴らしい仲間や友愛協会の方々、エヤップの皆さん、そして現地で私たちを歓迎してくれた皆さんのおかげで、最高の9日間になったと胸を張って言うことが出来ます。
オーストリアでの初日は、現地でガイドをしてくれたリサと一緒にウィーンの街を探索しました。ヨーロッパが誇る伝統と芸術の街を、めいっぱい楽しむことができました。ツアーなどで行くいわゆる定番の観光地だけでなく、ウィーンをよく知るリサならではのコースで、ウィーン中のお店や名所に案内してくれました。彼女はいつも私たち学生6名の中心で明るく私たちを引っ張ってくれる存在でした。ウィーンに滞在していた期間中に築いた彼女との友情は、私たちにとってかけがえのないものです。
2日目からは、老人ホームや職業訓練校、エヤップの教育施設、在オーストリアの日系企業であるJTIの社員の方とのランチや、日本大使である小井沼大使の公邸、訪問、さらにオーストリア外務省、国際連合のCTBTOの訪問をさせていただきました。本当に盛りだくさんな内容で、毎日が刺激の連続でした。その中でも特に心に残ったのは、老人ホームと外務省訪問です。
老人ホームでは、施設の見学やそこにお住まいの方との交流を通じて、日本の福祉問題について改めて考えさせられました。少子高齢化が長期的な社会的課題として問題視されている日本において、老人ホームは「高齢者をケアする場所」というイメージです。しかし、オーストリアで私たちが見学させていただいた老人ホームは、全く違った空間としてそこに存在していました。ホームという言葉通り、そこは生活の場であり、個人の意思を尊重した生き方が実現していたのです。
外務省では、オーストリアをはじめとして多くのヨーロッパの国々の課題である難民問題についてのプレゼンテーションを拝聴させていただきました。オーストリアに行く前は、周囲を海に囲まれ、政治的にも難民を受け入れない姿勢をとる日本に住む私たちにとっては、あまり馴染みのない話題でした。
印象的なのは、「私たちが出来るのは、日々苦しんでいる人がいるということをより多くの人に知ってもらえるよう努力し続けることです」というぺトラさんの言葉と、「政府が創出した難民の雇用や教育の機会をきちんと機能させ、それらを普及させるためには、民間人による受け入れと許容が必要不可欠だ」という官房長官のお話です。難民問題という大きな問題に私たち一般市民がどう対峙し、関わっていくのか。それはこの問題を解決に導くにあたって、私たちが想像していた以上に重要な要素であるという実感が湧きました。
9日間を総合して、最も私の心に残ったのは、何事もたくさんの人の助け合いと相互扶助によって成し遂げられているということでした。その助け合いは、相手への思いやりや慈愛で満ちたものです。自分には関係のないことであると目を逸らして生きていくのではなく、機会や場所を分かちあうことこそが、友愛の実現に繋がると思いました。

繋がり
慶應義塾大学 医学部1年 佐藤正幸

私たちの今回の派遣も、関わってくださった多くの方々のおかげで無事成し遂げることが出来たと思います。この感謝の気持ちを忘れず、次は私たちが誰かや何かの役に立ち、友愛を伝承出来るよう尽力したいと考えます。
オーストリア勤労青年連盟 (OJAB)は友愛と同じように、「汎ヨーロッハ思想を著したグーテンホフ・カレルギーの「友愛」の理念を掲げています。
そのため私たち派遣学生は、OJABの活動の三本柱である、若者・高齢者・教育について様々な施設を見学してきました。記しておきたいことは山のようにありますが、この文章では私の中で今回の研修中最も印象に残った話をしたいと思います。 日本から非常に離れた国、オーストリアの私のイメージは、ヨーロッパの伝統的な街並みと、音楽くらいのものでした。ただその特徴に加えて、実際に行ってみて初めて感じることができたのは、その多様性でした。ヨーロッパ系の人々に加え、アジア系、アラブ系、アフリカ系の人々も多く見かけましたし、一口にヨーロッパ系と言ってもその出身国は多種多様でした。あまり意識したことはありませんでしたが、オーストリアは9カ国に囲まれた移民国家であり、スイス同様に永世中立国でありました。日本では対岸の火事となってしまっている難民問題が、ここオーストリアでは国家の大きな問題となっていて、今ではドイツ・スイスに並ぶ難民受け入れ国となっています。只、やはりその反動は大きく、昨年の大統領選では台頭する右派の大統領候補に、現在の大統領が辛勝するというぎりぎりの選挙であったということを耳にしました。
難民受け入れを反対する人々は、「難民」たちは我々と違う文化を持っていて同化しようとしない、犯罪が増える、テロを起こすと主張します。しかし、実際に同世代の難民と呼ばれる人々と話し、仲良くなると、自分の中で何かが変わりました。
ウィーン滞在7日目、OJABの職業訓練施設であるBPIに行った時、同世代ながら様々な国から来た難民たちの受けるドイツ語の授業に実際に出させて頂きました。教室は明るい雰囲気ながらも、全員が熱心にドイツ語を学んでいました。授業が終わり彼らと和気あいあいと喋っていたのですが、難民の話題になると彼らの顔が少し寂しげになりました。
「ここでの暮らしは素晴らしい。ウィーンは大好きだ。でも、いつか故郷に戻って、復興の力となりたい。」
友達として話し、その言葉を聞いた時、私の中で彼らは「難民」という得体の知れないものから、1人の人間に変わりました。
知らないということは本当に恐ろしいものです。我々と同じ人間が、無意識に得体の知れない何かにすり替えられてしまいます。しかし実際にその人を知り、語り合うことそれだけで、とても大きな変化が自分の中で起きるのです。
私は、人と人とが心の内を明かせる繋がりを持ち、その輪を広げていくことこそが、友愛なのではないかと考えています。今回の旅ではアラブ系の難民である背景を持った学生たちだけでなく、ウィーン大学のヨーロッパ各地から来た学生たち、OJABの代表として想いを熱弁して下さったペトラさん、9日間ずっとアテンドをして下さったリサさん、そしてもちろん私を加えて6名の日本人派遣学生のみんなと掛け替えのない繋がりを得ることができました。
最後にこのような素晴らしい機会を与えて下さった、友愛の皆様、鳩山由紀夫先生及び井上浩義教授、また諸般のお手伝いをして下さった羽中田様に感謝の意を示し、この文章を締めくくりたいと思います。

友愛 活動詳細
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