第25次友愛植林訪中団
臨汾市生態緑化事業、遼寧省錦州市生態緑化モデル林事業(2014年4月)
<第25次友愛植林訪中団 (2014年4月)>
第2期 日中青年遼寧省錦州市生態緑化モデル林事業
第2期 日中青年臨汾市生態緑化事業
友愛が行っている植林活動は、今回25次訪中団を派遣、一つの節目を迎えた。
その記念すべき25次訪中団に、鳩山由紀夫理事長が名誉団長として参加された。
4月18日(金)羽田を発ち、北京の中華全国青年連合会本部訪問を始め、遼寧省錦州市の現地での植林活動と、移動と過密なスケジュールをこなし、多くの成果を手に帰国された。
友愛植林訪中団はその後山西省臨汾市に移動し、植林活動を続け、23日無事帰国した。
今回の訪中団は総勢10名、4名の大学生から参加の感想文が寄せられた。
鳩山由紀夫名誉団長、川手正一郎団長の文と共にご紹介し、第25次友愛植林訪中団のご報告としたい。
(第25次友愛植林訪中団)
鳩山由紀夫名誉団長、川手正一郎団長、戸澤英典副団長、田中佐知子さん、李 慶達さん、橋本誠浩さん
川手祥右さん、高橋佳大さん、原 俊子さん、羽中田元美(事務局)
植林訪中団に参加して
—— 第25次植林訪中団 名誉団長 鳩山由紀夫
友愛がいわゆる小渕基金を活用して、中華全国青年連合会(全青連)と協力して行っている植林活動に名誉団長として初めて参加した。
初参加の私が言うのもおかしいのだが、継続は力なりとつくづく感じた。
言うまでもないが、信頼関係は一日で築かれるものではない。
この事業は2000年からスタートしたが、川手正一郎団長を筆頭に友愛協会のメンバーと全青連の環境保護に関わるみなさんが、毎年植林事業に協力して汗をかいてきたことによって、両者の間に厚い友情が生まれ、信頼関係が構築されてきていたことはとても素晴らしいことであった。
今回までの24回の中国各地での日中友好の植林活動で、442万本の木が植えられ、3075ヘクタールの土地の緑化が進められたことが信頼の何よりの証である。
初日は北京の全青連本部を訪れ、賀軍科主席と会談した。
彼は9年の間にトップに上り詰めたと伺ったが、先輩の李克強首相のような鋭いまなざしの青年と言うより、温和な性格の方で、私ども友愛協会の活動を高く評価して下さった。
そして、日中間が政治的に険悪な状況の今だからこそ、このような民間の交流は大きな意義があるとの認識で一致した。
その後、ホテルに戻っての歓迎宴では、賀主席はホテル側に北京ダックの用意がないと知り、わざわざ外で調達して下さる気の配りようであった。
至れり尽くせりの配慮に感謝しながら、マオタイ酒を何度も酌み交わした。
翌日は新幹線で錦州へと向かった。
日本では中国の新幹線に対して酷評がなされていたが、確かに椅子などの内装は日本の方が優れているが、横揺れもなく時速292キロのスピードが出ていたのでなかなか快適であった。
遼寧省の錦州市は渤海湾に面しており、北京など内陸の都会とは全く趣の異なった風光明媚な市で、多くの別荘が立ち並び、シャコやエビなどの水産物が豊富なリゾート地であった。
環境問題には熱心な取り組みがなされており、大きな川の周囲の環境を守ろうと、大規模な植林活動が行われていた。
友愛協会は全青連との協議の中で、昨年からこの地の植林活動に協力することになった。
午後3時、川手団長始め植林訪中団10名が植林現場に到着すると、王明玉錦州市委員会書記が熱烈歓迎して下さった。
すでに300人ほどのボランティアの若者たちがきれいに整列をして私どもを待っていてくれていた。
感激である。
「母なる河を守る行動・日中青年生態緑化モデル林」プロジェクトの起工式が始まった。
そこで私は「ニイハオ!」と呼びかけたら、青年たちから温かい反応があった。
続けて、お集まりの方々に感謝の思いを伝えたあと、「祖父一郎は、60年余り前に、相互に尊重し、理解し、助け合う社会を作りたいと友愛活動を始めた。現在、日中両国は政治的に極めて厳しい状況にあり、政治家だった者として残念である。日本のかつての侵略が中国のみなさんに大変な苦痛を与えたことについて、深いお詫びの気持ちを表する。だからこそ、地球の環境が日々悪化している今、その意味を込めて、私は今回の中国での植林活動に参加した。このような時に、日中両国の間でいろいろな民間交流活動を行うことには大変な意義がある。友愛の精神には国境はない。今回のような植林活動が両国民の間のわだかまりを解消することに役立つことを願う」という趣旨のことを述べた。
その後、大きな石で作られた記念碑の除幕式を行ってから、全員で植樹を行った。
ボランティアの青年たちも一所懸命に植樹していた。
若者たちが植林活動に汗を流すことによって、環境を守ることの重要性を自然と身に付けるようになることは素晴らしいと感じた。
私は王明玉書記との間に、10本の植樹を約束していたが、時間の関係もあり、7本で打ち切りとなってしまった。
そこで、ホテルに戻った歓迎宴の席上で、3本残してしまったので来年も来ますと約束をした。
みんな喜んでくれた。
そして、来年来るときには、日本の若者たちをもっと連れてこようと心の中で誓った。
- 北京の全青連本部を訪問。中華全国青年連合会/賀軍科主席(写真右端)より感謝状を授与された
- 遼寧省錦州市の植林現場で挨拶する鳩山由紀夫名誉団長。「ニイハオ」との呼びかけに大きな拍手が
- 名誉団長は、スコップを手に、目標十本を目指して植樹開始。川手団長と力を合わせて共同作業
- ボランティアで参加の陸軍学校の少年達とも一緒に植樹。時間の最後まで頑張って計七本を達成
- 歓迎の宴で挨拶する鳩山由紀夫名誉団長。「ここ錦州に来て良かった!」と植林事業への想いを
- 全青連本部入り口に掲げられた歓迎の電光掲示板。この熱烈歓迎から始まって終始熱烈歓迎を受けた
- 遼寧省錦州市現場に建てられた記念碑。「母なる河を守る」「友愛」の文字も刻まれている
- 宴の席で、現地スタッフと杯を交わし交流。その気さくな人柄に、全ての人が魅了された
- 全青連本部にて、関係者全員で記念撮影。十数年に亘る信頼と友情がこの日を創り上げた
- 新幹線の北京南駅の駅長さん(左から四人目)を囲んで。女性進出が進んでいるとしきりに感心
- 中国の誇る新幹線。北京南駅から錦州市駅まで乗車。乗り心地もスピードも、申し分ない
心と心に国境はない
—— 第25次植林訪中団 団長 川手正一郎
2011年6月、2000年から始った植林事業のその後の状況について知りたいと思い全青連にお願いし、第1次~第5次の植林地を訪ねました。
当時、中国の皆さんと一緒に植えたユーカリやポプラ、その他の樹木を植林地で実見し、荒れた原野が緑の大地に一変した光景には、唖然とするばかりでした。
そして植林事業の素晴らしさと成長した立派な樹木を前にしての感動は今でも忘れられません。
殆どの木が太さ20~30センチ、高さ15m以上。
思わず幹に抱きつき耳をあて、芯から生ずる音色に我を忘れて聴き入りました。
梢から伝わる豊かな響きはあたかも有難うと感謝の念を表しているように聞え感無量でした。
青々と繁る樹木の現地は、高台から眺めると緑の波となり、植林時の砂の荒地からは想像もつかない見事な森に変っていました。
第2回の植林地広西チワン族自治区の来賓県では、大きな山全体が緑に覆われ、記憶とは全く違う景色となり、驚きと喜びの連続であり植林事業の冥利を味わいました。
さて、昨年3月の湖北省考感市の植林参加を最後に小生は思わぬ病に取り憑かれ、昨年6月と本年3月の植林に行けず残念でしたが、この4月の遼寧省と山西省についてはなんとしても出席したいと思い、治療に専念しました。
お蔭様で治療も順調に推移し、此の度、鳩山理事長とご一緒して植林訪中団に参加できましたことは、大変光栄であり有難く、ご心配いただきました皆様には心から感謝申し上げます。
そんな体調でしたので、全青連や植林地の皆様、代表団の方々には何かと細やかなお心遣いを戴き、改めまして厚く御礼申し上げます。
今回の植林に際しましては、3年前の植林地視察の感動を胸に苗木一本一本が中国の大地にしっかり根付くよう心を込めました。
言葉で唱える日中友好は簡単ですが、友愛理念を念頭に人間としての心と心の繋がりこそ真の友好であり、5年後10年後の緑輝く樹木を通して中国の皆様が友愛を理解していただけるよう念願しスコップを握り締めました。
そして両国の関係が一日も早く改善され、友好親善の絆がますます強くなることを切望し大地に祈りました。
真の友好は両国民のひとり一人の心の中にある。
心と心に国境はない。
今般お会いした中国のすべての人々の心に友好の明かりが灯ることを祈願し感想と致します。
尚、全青連の洪桂梅、王希宏、羊強振の方々には全日程を通して大変お世話になり、訪中団を代表し、感謝と御礼を申し上げます。
- 全青連本部にて、関係者全員で記念撮影。十数年に亘る信頼と友情がこの日を創り上げた
- 山西省臨汾市の植林現場で、元気に挨拶。川手正一郎団長。病癒えて、待望の植林訪中が叶った
- 山西省臨汾市での記念式典。この日から後ろに迫る山々の頂上まで、植樹が進み緑の山となる
- 植樹したポプラに、想いを込めて水をやる。大きく育ち、緑の林となる日を夢みて信じて
植林活動に参加しました
—— 東北大学法学部四年 李 慶達
今回始めて友愛の植林訪中団の一員として中国での植林活動に参加しました。
そして、中国人として日本の訪中団に加わって自分の国を訪問すると言う面白い体験ができ、更には、鳩山由紀夫先生、川手団長など素晴らしい人と出会えて、多くのことを学び、ひとまわり人間の器が大きくなった気がします。(実際、食べ過ぎて若干体重も増えました)
植林活動を振り返ると、北京での全青連の訪問に始まり、長いバス移動の時間を耐えて錦州と臨汾の田舎での起工式と植林作業、円卓を囲んで食べきれない食事と幾度となく繰り返される白酒での乾杯、夜皆で集まって開く小さな勉強会など内容の濃い一週間を過ごしました。
植林活動を通して、友愛協会の植林活動は2000年から始まり年間3000ヘクタール余り、442万本の木を植えた事を知り大変感心しました。
そして、何より高齢でありながら14年で20数回の植林活動に参加し、今回は癌を患いながらも植林活動に参加した川手団長の、人格と生き様に大変深い感銘を受けました。
自分も木を植えながら、・・ 10年後いや100年後に緑の森となっていることを夢に見ながら、いや、夢に見るというよりそれに向かっているのである。
すぐに結果が出るものではない。しかし、緑の森となることを信じて、きっと森となって、日中友好もこの森の木々のように地に根付き山々を緑いっぱいにして、子々孫々の世代までずっと続いている・・そんなことを考えながらスコップを動かし続けていました。
もちろん、植樹だけでは苗木は育たないでしょう。
きっと、現地の人たちが大切に育ててくれることでしょう。
そしてこのことが細くとも強い日中友好につながっていることを願います。
もう一つの感想は、通訳を聞いて、自分も通訳をしていて気付いた事で、日本語や中国語が理解できてもその両方の古典や文化についての教養が足りなければ、元の言語の魅力を完璧に伝える事が出来ないと痛感しました。
自分の新しい課題として、日中の古典を読む事を決めました。
最後に、苗木が大きく育った頃にまた現地を見に行きたいと思っています。みんなで植林した苗木が立派に育っていることを信じて。
- 李さん、戸澤副団長、橋本さん(写真右から)の三人で師弟植樹。広がる地平線は、未来へと続く
- 李さんの言う「夜の小さな勉強会」。名誉団長を囲んで、様々な話題に花が咲いた
日本と中国
—— 東北大学法学部四年(北京・清華大学留学中) 橋本 誠浩
今回の友愛と中華全国青年連合会の共同主催で行われた植林活動に参加したことは、私が日本と中国の友好について、どのようにあるべきものなのかということを改めて考える機会になりました。
鳩山由紀夫理事長は、錦州市の起工式で「環境問題に国境は関係ない」とおっしゃいました。
確かにその通りだと、私は以前からその考えを持っていました。
しかし、今回このような形で実際に日本人と中国人がともに環境保護活動を行うところに参加させていただいたのは初めての経験でした。
現在北京に留学中の私は、中国の水や空気をめぐる環境問題の深刻さについて肌身をもって感じていました。
私のある中国人の友人は、これらの問題をなんとかしたいという想いから、環境工学について学ぶために日本への留学を決意しました。
そのような中で、私にできることとは一体何なのか。こういったことを考えていた時に紹介していただいた今回の植林活動は、中国の環境問題について中国の皆様とともに考え、問題に取り組むという意味でとても貴重な体験となりました。
さらには、中国の皆様とともに汗を流しながら、同じ問題に取り組むことでお互いの友好を深めることができたと思います。
川手正一郎団長は、この活動が始まった時からほぼすべての活動に参加なさっています。
10数年間も継続して参加しているために、中国人の友人と強い絆で結ばれています。それを目の当たりにした私は、たとえ国が違ったとしても、川手正一郎団長のようにいくつになっても中国の方とお互いを信頼し、友好を保てると確信できました。
今回の活動で交流した中国の皆様や留学中に仲良くなった中国の友人との関係を日本に帰国した後も一生大切にし、一人の青年として、今後の日中友好を担う一人になることができればと思います。
- 臨汾市の記念碑を囲んで団員一同記念撮影。十年後には、この碑が見えなくなる程に木が生い茂る
- この写真では解り難いが、高さ50センチ程の苗を植えた。既に植樹されている苗もあり時間差植樹
私から見た中国
—— 城西大学経営学部三年 高橋 佳大
友愛の実施する植林活動に、私は大学生として参加しました。
中国の植林活動は二回目になります。海外に行ったのも、この2回だけになりますが。
日本とは異なる文化の違いなどを身近に感じるとともに、多くの貴重な体験が自分を大きく変え、成長できたと思います。
中国に行く前は、政治的問題や環境問題などがテレビなどのメディアによく取り上げられており、不安が多かったのも事実でした。
しかし実際に行ってみて感じたのはそのようなことはなく、緑が生い茂る地域が目立ち、協力的な人も多く印象は大分変わりました。
「外の世界を見なければ、新しい自分の発見、可能性を見つけることはできない」ということを実感してとても考えさせられました。
友愛はこれまでに幾度もの植林活動を実施しており、2000年に植林をした場所が、今では森になっていることを祖父の話から知り、感銘を受け、私もできる限りの協力をしたいと思ったことが参加の理由でもあります。
今回は前回の倍以上の人数で、多くのポプラの苗木を植えることができました。
日中両国の参加者全員が協力しあい、現地では村の人たちをはじめ地元の学生など、数多くのボランティアの人たちと植林活動を通して日中の交流がはかれました。
環境保護だけでなく、日中友好の面でも、とても有意義な活動が行えたのではないかと思います。
私が本活動を通じ感じたことは、一人では微力であっても、両国民が立ち上がり一致協力することでどのような問題も解決できるということ。
言葉は通じないかもしれないが、言葉よりも大事な心は通じ合えるということです。
今回の植林活動は、友愛の方々や中華全国青年連合会(全青連)の方々の尽力により全てが順調にすすみ、5泊6日の植林活動を無事終えることができ、関係者の皆様に対して改めて感謝申し上げたいと思います。
友愛の方々や全青連の方々にはご苦労をおかけしたとは思いますが、また機会があれば再び現地を訪れ、大きく育ったポプラの森の姿を楽しみに是非参加したいと考えております。
こういった活動が生活を豊かにし、将来、森林を引き継いでゆく子供たちに夢と教育、機会を与えると思います。
自然環境保護を共通の合言葉とした、両国民のさらなる交流発展になることを願っています。
- 高橋佳大さん(左)と川手祥右さん、実は従兄弟同士。同学年で大の仲良し、話は尽きない
- マスコミ各社の取材。二人は質問責めに合った。人民日報にも友愛植林訪中団の記事が掲載された
植林訪中を通じて
—— 東京工芸大学工学部建築学科三年 川手 祥右
私が植林活動を始めたきっかけは祖父に誘われたからです。
最初の植林活動に参加した時、私はまだ高校生で中国には興味は無かったです。
むしろ嫌なイメージが強かったのですが、私は旅が好きなので観光感覚で行こうと決めました。
中国に着くと中華全国青年連合会(全青連)の人たちが歓迎してくれ、中国のイメージががらりと変わりました。
中国は反日意識が強いと思っていましたが、日中友好を望んでいる中国人もいると分かりました。
植林現場に向かうと現地の人が集まっており、祖父はみなさんに「植林活動は木を育てるだけではなく日中友好を育てることだ」とあいさつしましたが、私は最初どういう意味か分からず、ただただ木を植えました。そして日本に帰国し植林活動を振り返ってみました。 植林活動というと木を植える事だけを思い浮かべますが、実際に体験してみると植林活動をするのに、色んな人と交流があるのに気づきました。
木を植えるだけではなく、全青連の人たちや現地の人たちと交流し木を植えて、それが次第に日中友好に繋がり成長していくのではないかと思いました。
そして一回目の植林を終えてまた交流したい!と思うようになり、何回も植林に行くうちに中国への親近感が少しづつ上がっていきました。いまでは私の大学の中国人の留学生とも交流を取り、情報交換をし、さらには中国語にも興味を持ち始めました。
今日の日中両国の関係はよくありません。
また私の周りの多くの学生は中国に興味もなく、同じ東アジアなのに中国を知ろうとしません。
まさに私が植林活動に行く前の状態です。
ですが私は祖父から頂いた貴重な体験を生かすためにも、情報を発信するアンテナとなり、まずは私の友達から本当の中国の姿を伝えてゆきたいと思っています。
そして今後日中友好が実現するように願いたいです。
- 名誉団長のたっての希望で急遽訪問。向こうに見える島に、干潮で歩いて渡れるという貴重な体験を
- 島の手前にある真水の湧く井戸。今もこんこんと澄んだ水を湛えている。覗くと鏡のような水面が
- 小さく見える島を背景に記念撮影。潮の香りに包まれて、忙中閑有り、ちょっとしたお楽しみ!