写真:鳩山会館

History沿革

1952

リヒャルト・クーデンホフ、カレルギーの著書『Totalitarian State against Man』を鳩山一郎 が『自由と人生』のタイトルで翻訳し、友愛革命の発想を得た。

『自由と人生』リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー著
鳩山一郎翻訳 洋々社

1953

友愛青年同志会結成。(会長 鳩山一郎)
友愛青年同志会機関紙を発刊。(~現在)
友愛青年同志会結成大会を開催。(於:日比谷公会堂)
国際親善活動の第一段階として、在日アジア地域学生と国際親善交歓を行う。(国際連合学生連盟主催)

結成大会のポスターを貼る会員

1954

友愛の旗・友愛の歌が決定
友愛青年同志会第1回全国大会開催・・・クーデンホーフ・カレルギー伯爵(ヨーロッパ連合提唱者)よりメッセージが届く。
日本民主党結党大会結成(鳩山一郎が総理に就任・第一次鳩山一郎内閣成立)。
友愛山荘開設(軽井沢南ヶ丘の民家を使用)。

<友愛の旗>
地色の紺は海、世界をつなぐ意味で、友愛精神が世界の人々を結ぶことを示している。

<第1回全国大会>
全国から数百名もの参加者が集まり、総会や研究会等が行われた。

<初代軽井沢友愛山荘>
新築の農家を夏の間だけ借りて、研修会を行った。

<友愛のマーク>
初代幹事長 近藤春雄氏が作成。

1955

第2次鳩山内閣成立(3.19)。
第3次鳩山内閣成立(11.22)。
各地に支部が結成される。
友愛移動文化映画班が全国各地を巡回(~68年)。

1956

友愛無 医村地区歯科無料巡回診療事業開始。(~62年)
鳩山一郎会長、日・ソ交渉を開始(日ソ国交回復に関する共同宣言と通商航海議定書に調印)。〈→歯科無料巡回〉
当時地方の医療施設は整備されていなかった。

1957

友愛中央指導者講習会開始。
政策特別委員会を設置。

1958

県支部連合会の結成 相次ぐ。
文京友愛婦人会発足 初代会長鳩山薫夫人就任(62年に「友愛婦人会」に改名)。
友愛茶道部を設立(~現在)。
全国で400ヵ所以上の支部が設立される。

〈支部結成大会〉

1959

鳩山一郎初代会長逝去。
尾道友愛山荘開設(1959~89 広島県尾道市)。
2代目会長に鳩山薫夫人が就任。
財団法人日本友愛青年協会設立、文部省認可。
軽井沢友愛山荘開設(1959~ 長野県軽井沢町)。
背振友愛山荘開設(1961~80 福岡県外早良町)。
総理府主催 第1回青年海外派遣団事業により友愛代表者が北米/インド・東南アジアに各1名ずつ派遣。

<尾道友愛山荘>
千光寺公園内にあり、瀬戸内海の美しい自然と地の利に恵まれ愛された。

<背振友愛山荘>
会員が私財を投じて開設。アジアからの留学生の集いの場所となった。

<3代目軽井沢友愛山荘>
1959~95.講習会や研修会が頻繁におこなわれてた。

1960

MAYC(マレーシア青年クラブ 連盟)代表訪日団12名が来日。(日本青年団体国際委員会主催) 本協会は関西のプログラムを担当。

岡山駅で出迎える友愛青年同志会会員青年

1961

友愛欧州産業視察団派遣(名誉会長クーデンホーフ・カレルギー伯爵と面会)。
働く青少年の集いを軽井沢友愛山荘で開催(~68年)。
中央青少年団体連絡協議会(以後中青連と明記)に加盟。
マラヤ派遣(マラヤ=マレーシア)日本青年代表団に友愛代表者2名が参加。
核兵器禁止平和建設国民会議結成に参画。
政界青年会議(WAY)拡大受講委員会に参加(於:東京)。

1962

友愛国際使節団(第1回友愛東南アジア使節団)派遣(~94年・29回の派遣を行う)。
第1回学生部全国会議開催。
クーデンホーフ・カレルギー伯爵からヨーロッパでの友愛運動推進団体としてオーストリア勤労青年連盟(ÖJAB)を紹介して頂く。
磐梯友愛山荘開設(1962~92.福島県猪苗代町)。

<第1次東南アジア使節団>
ほぼ毎年、東南アジア諸国と日本の平和のために使節団が派遣された。

<磐梯友愛山荘>
国営猪苗代スキー場内にあり、貸しスキーも完備していた。

<第15次使節団>
インドネシアのロンボク島にて。

1963

友愛青年同志会10周年記念式典開催。
友愛欧州国際使節団5名派遣、オーストリア勤労青年連盟(ÖJAB)と交流が始まる。
友愛全国組織縦断リレー実施。

1964

新潟地震救護活動を展開。
国土美化道義高揚全国キャラバン隊を実施(東京オリンピックを契機に道義高揚と国土美化を啓蒙。~68年)。
高松友愛山荘開設(1964~86.香川県高松市)。
東京オリンピック世界青少年キャンプ(現在の国際ユースキャンプ)開催。

<高松友愛山荘>
四国の友愛運動の拠点となった。

<東京オリンピック世界青少年キャンプ>
世界の青年たちがオリンピック開催地に集まり、交流を深めるキャンプ。浅草を見学。

1965

マレーシア青年クラブ連盟(MAYC)より2名の女子留学生を2年間受け入れる(以降数回に渡り受入れを実施)。
友愛国際クラブ発足
オーストリア勤労青年連盟(OJAB)と姉妹関係を結ぶ議定書に調印。
(以降11月15日を“友愛の日”と制定)

<2名の女子留学生>
友愛スカラシップ第1号。福岡県女子短期大学に留学。

1966

(社)青少年育成国民会議が結成され、加盟。
カンボジア王国社会主義青年団代表を招待し、友好関係を深める。

1967

クーデンホーフ・カレルギー伯爵夫妻来日(NHK・前田義徳会長、鹿島守之助氏、鳩山薫会長の三者協同で招待)。
友愛クラブ発会(毎月第2水曜日に定例会を実施)。
沖縄へ友愛文化映画班派遣。

<鳩山薫夫人とカレルギー伯爵>
共立女子学園前で鳩山薫会長と。

<友愛クラブ>
クラブ会員の友好や情報交換の場となっている。

1968

明治100年記念事業の第1回「青年の船」に多数の本協会会員が参加。
結成15周年記念欧州視察団派遣。
友愛スカラシップにより、タイから2名の女子留学生を受け入れる(以後数回にわたって受け入れを実施)。
オーストリア勤労青年連盟受け入れの議定書に基づく留学生を派遣(3年間)。

1969

友愛文化講演会開始 (~75年)。

<友愛文化講演会>
青少年の社会意識を高揚させる目的で、全国で開催された。

1970

万国博、世界青少年の集い(本会提唱)に本会関係者が多数参加。

1971

スキーによる友愛オーストリア使節団派遣(74年までに4回実施)。
タイの青少年指導者一行30名を受け入れる。
友愛OB会結成。
オーストリア勤労青年連盟25周年記念総会に本会代表2名を派遣。
王子ヶ岳友愛山荘開設(1971~76.岡山県倉敷市)。

<友愛オーストリア使節団派遣>
オーストリアの整備されたスキー場に日本青年は驚いた 。

<王子ヶ岳友愛山荘>
瀬戸内海国立公園内。地元企業の山荘の提供を受けて開設。

1972

本協会名誉会長クーデンホーフ・カレルギー伯爵逝去。
友愛キャラバン隊、東北から関東へ出発。
マレーシア青年クラブ連盟と議定書を交換。

北海道友愛山荘開設(1972~89.北海道小樽市)
朝里川温泉。民間版「青年の家」として宿泊より研修に重点を置いた運営がなされた。

1973

友愛青年同志会の名称を友愛青年連盟と改称。
友愛政治連盟発足。

多くの友愛議員を政界に送り出した

1974

第21回友愛青年連盟全国大会で鳩山薫先生が名誉会長に就任。
鳩山威一郎氏が会長に就任。
第1回友愛東南アジア青年指導者セミナー開催。
中華人民共和国との交流開始。
北海道で第1回友愛国際セミナーを開催。

1975

財団法人日本友愛青年協会理事長に鳩山威一郎会長が就任。
第1回鳩山杯争奪友愛全日本英語弁論大会開始。
(於:東京・虎の門共済会館、以後93年まで通算19回まで開催)。

<第1回英語弁論大会>
国際社会に貢献するため、英語力の向上を目標に今大会が行われた。

1976

友愛コミュニティづくり運動開始(~78年)。

<イラスト・キャンペーン・ステッカー>
街中にステッカーが溢れた。
鳩山威一郎会長、外務大臣に就任。

1977

友愛のある街づくり運動のため、キャラバン‘77を上越・東北路へ派遣。

1978

25周年記念式典開催 (於:憲政記念館)。
財団法人日本友愛青年協会で、月刊誌「ゆうあい」を刊行。
第1次日中友好親善友愛使節団を、中日友好協会の招きで派遣。
外国青少年指導者招へい事業(主催:青少年育成国民会議)に初参加。
インドネシア・ロンボク州から1名の研修生を受け入れる。
訪日中国青年代表団歓迎実行委員会に参加し、中国代表を受け入れる。
マレーシア青年連盟訪日代表団50名を受け入れる。

1979

中青連主催の『英語 キャンプ』をこの年より友愛主催で行う(80年より『友愛国際キャンプ』と改称。~86年)。

<友愛国際キャンプ>
中・高校生を中心として、実践的な英語を見に付けてもらうことを目的に開始。約1週間の共同生活を送る。

1980

第2・3次訪中派遣団を派遣。
友愛社会開発セミナー開始(~94年)。
バリ青年クラブ(インドネシア)・マレーシア青年連盟(マレーシア)より、2名の青年を招へいし、研修旅行を行う。

<友愛開発セミナー>
組織をあげて友愛社会を実現する具体的な事業として始められた

1981

日本友愛日中研修協会設立。1年間にわたる中国技術研修生、年間約20名の受け入れ開始。
東南アジア各国の青年代表を招いて、友愛国際キャンプ開催(於尾道友愛山荘と磐梯友愛山荘)。

<88年の韓国青年のキャンプ>

1982

鳩山薫名誉会長逝去。
日中国交正常化10周年祝賀行事に鳩山威一郎会長ほか6名が招かれ訪中。

1983

友愛青年連盟30周年記念事業実施(式典を憲政記念館で開催)。
30周年記念友愛アジア青年会議開催。

1984

アフリカ・マリ共和国来日研修生を招き懇談。
胡耀邦総書記提唱の日中青年友好交流事業に33名の代表が招かれ訪中。日中青年3000名が交流に参加した。

1985

友愛クラブ200回記念例会開催。
中国豆腐技術研修生2名を受け入れる。
国際青年年記念・文部大臣奨励賞友愛杯争奪日本語弁論大会開始(~93年)。
タイ・サイアムユースクラブから半月間研修生2名を受入れる。
タイ教育青年指導者施設団20名を12日間受入れる。

<日本語弁論大会>
英語と日本語を使いこなせる若者を一人でも多く増やすことを目的に開催が始まる。

1986

オーストリア勤労青年連盟40周年記念式典に代表4名を派遣。

1987

友愛婦人会30周年記念式典を開催。
友愛舞踏研究会創立15周年記念式典を開催。

1988

友愛青年連盟35周年記念事業実施(式典を東京・日本青年館で開催)。
アジア青年会議を開催。翌年以降、友愛国際青年会議として毎年行う(~2003年)。

1989

国際協力事業団(JICA)主催の “21世紀のための友情計画”で、インドネシア訪日学生グループを受け入れ。

1990

友愛ドイツ歌曲(リート)コンクール開催(以後、毎年開催)
日韓学術文化青少年交流事業で訪韓団を派遣(以後毎年、派遣と受け入れを行う ~93年)。

<友愛ドイツ歌曲(リート)コンクール>
翌年優勝者をオーストリアに派遣。

1991

北京の中日青年交流センター開業式典に招かれ、2名を中国へ派遣。

1992

北京で日中国交正常 化20周年記念“日中・歌と舞踊の友愛文化祭”を開催。

<日中・歌と舞踊の友愛文化祭>

1993

鳩山威一郎会長逝去。
40周年記念友愛キャラバン隊を全国8ヵ所に派遣。
友愛青年連盟40周年記念事業実施(式典を憲政記念館で開催)。東京と大阪で友愛国際青年フォーラムを開催。

<友愛キャラバン隊の発表>

<友愛青年連盟創立40周年記念式典>

<記念公演をする鳩山邦夫代議士>

1994

日本友愛青年協会理事長に鳩山安子氏就任。
鳩山邦夫友愛青年連盟相談役、連盟会長に就任。

1995

シンガポール社会開発グループ25名を受入れ(JICA) アセアン混成諸国教育グループを受入れ(JICA)。
軽井沢友愛山荘を建築。
アフターケアーチーム・友愛代表5名を派遣(JICA)。
国際青年会議に友愛代表を派遣(ÖJAB創立50周年記念)。

1996

友愛政経セミナー実施。
日韓文化交流基金主催各国青年受入れ。
鳩山会館がオープン。

1997

長野五輪国際ユースキャンプ開催。
日中青少年指導者定期交流事業開催。
中国青年訪日団15名を受入れ。
タイ社会開発グループ25名受入れ(JICA)。

1998

「21世紀のための友情計画」への活動協力協議会(CAC21) 第1回理事会に参加。
広報委員会の担当となる。

1999

日本友愛青年連盟40年祭を開催。
中国教員グループ25名を受入れ(JICA)。
「学生・若手社会人 友愛フォーラム」を開催

2000

軽井沢友愛セミナー開催(軽井沢友愛山荘において勉強会を行った)。
友愛国際ネットが発足。
中国教員グループ25名を受入れ(JICA)。

2001

日中緑化交流基金(小渕基金) 広西柳州地区に団員12名が訪中。
中国経済グループ25名を受入れ(JICA)。

2002

広西柳州地区に団員14名が訪中(小渕基金)。
マレーシア中小企業経営グループ21名を受入れ(JICA)。

2003

黄崗市武穴地区に訪中(中国植林・小渕基金)。
友愛創立50周年記念集会(於:鳩山会館)。
友愛クラブ400回記念例会
プロジェクトの経過報告と今後の取り組みについて協議柳州来賓県へ5名参加(中国植林・小渕基金)。
アセアン混成科学技術(IT)グループ18名を受入れ(JICA)。
タイ地域振興(地方産業)グループ23名を受入れ(JICA)。

2004

広西柳州地区に団員6名が訪中(中国植林・小渕基金)。
マレーシア環境保全(廃棄物処理)グループ18名を受入れ(JICA)。
黄崗市武穴地区に団員5名訪中(中国植林・小渕基金)。
アフリカ混成(英語圏)女性教員グループ21名を受入れ(JICA)。

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