オーストリア勤労青年連盟(OJAB)より派遣員来日
学生とのフォーラム開催 広島平和記念公園での献花 京都で日本文化堪能
10日間の日程を精力的に過ごし感動を胸に帰国
永年にわたり、友好関係を続けているオーストリア勤労青年連盟OJAB(エヤップ)から、今年も派遣員が来日した。
ペトラ・ハイドラーさん及びアドリアナ・バッサニさんのお2人で、どちらもエヤップで働く新進気鋭の女性達である。
8月27日(土)〜9月5日(月)までの10日間の滞在中、友愛サロンに於けるフォーラムの開催、広島市松井市長訪問、原爆資料館見学などのスケジュールを精力的にこなし、9月5日元気に帰国した。
フォーラム開催
長旅の疲れも見せず、8月28日(日)友愛サロンに於いてフォーラムを開催し、エヤップが取り組む世界平和の道、特に難民への対応などについて、資料を基に詳しく解説された。フォーラムに参加したのは小学生を含む学生達で、次代を担う若者が活発に質問している姿には、未来に向けての可能性が示唆されていた。
フォーラム参加者
及川瑛己(町田市立鶴川第二小学校6年)/金道熹(東京学芸大学附属国際中等教育学校3年)/辻就塁(静岡大学教育学部附属浜松中学校2年)/高見澤ひかる(開智中学校3年)/大熊凛(開智中学校3年)/金子珠里亜(お茶の水女子大学附属中学校3年)/木下貴香子(慶應義塾湘南藤沢高等部3年)/松田高幸(慶應義塾志木高等学校2年)/小島原知大(東京医科歯科大学医学部3年生)/本田夏菜(立教大学現代心理学部映像身体学科3年)/小林沙衣(慶應義塾大学法学部法律学科2年)
歓迎昼食会
29日には、歓迎昼食会が開催され、鳩山由紀夫理事長、川手正一郎常務理事、戸澤英典評議員出席のもと、和やかな話し合いの時間が設けられた。
特にエヤップの希望は、今後の友愛協会との連携の上で、アフリカのブルキナファソを支援するプロジェクトに力を貸して欲しい旨が伝えられ、鳩山理事長も、詳細についての資料を基に、検討する旨を伝えた。
京都にて日本文化を堪能
派遣員の2人は、同行の大学生2人と京都を訪問。浴衣に身を包み町を散策したり、清水寺・伏見稲荷・竜安寺と欲張りなスケジュールで見学・体験の2日間を過ごした。
平和記念公園にて献花
京都見学の後は、広島に移動。友愛協会創設者鳩山一郎先生の核兵器根絶の思いに添って、原爆資料館の見学、被爆体験者小倉桂子さんからの体験談の聴講など、世界平和に向けての思いを強くした。また、平和記念公園では献花をし、長い時間祈りを捧げていた。
広島市のご好意で松井広島市長との面談の時間を設けていただくなど、例年の事ながら、来日した者にも、同行の大学生にも貴重な体験をさせていただくことが出来た。
同行の2人の感想文をご紹介し、報告といたします。
OJAB派遣員同行体験記
より良い未来を創る・私たちの使命
—— 慶應義塾大学法学部法律学科二年 小林沙衣
今回、私小林沙衣は友愛及び慶應義塾大学井上教授のご厚意により、オーストリアからいらしたペトラさん、アドリアナさんを、京都と広島に4日間案内するという機会を頂きました。
日程としては、京都での、日本古都の文化やその趣きの享受を目的として2日間、広島には平和の再考を目的として、松井広島市長とお会いしたり、平和記念公園での献花や被爆者のお話を伺うなどの予定のもと、2日間滞在致しました。
今回の経験を文章にして皆様にお伝えすることになりましたので、私がこの4日間で印象に残ったことを記して、貴重な体験をさせて頂いた私の感想とさせていただきます。
……………
The important thing is not just feeling sad but thinking how to make the best use of the experience for the future.
(大切なのは悲しみに浸るだけではなく、この経験から我々がいかにより良い未来をつくっていかれるかを考えることだ)
これは広島の平和記念公園訪問に訪れた際、ペトラさんが私に言った言葉です。
オーストリアも第二次世界大戦においてのナチスドイツの悲劇を抱えており、戦争の惨禍について考える機会も多かったようです。そのうえで、世界を舞台に活躍なさるペトラさんのこの言葉は非常に重要な意味を持つでしょう。
原爆資料館には、焼け焦げたお弁当箱が、洋服が、病に苦しみながら亡くなった方々の熱い目線を映した写真がありました。言葉では表すことができないほど悲愴な事実です。
しかしながら、個別の事実を憂い恐れるのではなく、そこから何を今自身ができるのか考えること。これが現代社会を生きる者の責務だとペトラさんの言葉は示していると私は考えます。
イスラム過激派の横暴、ソマリアなど絶えぬ内戦、核の脅威。私たちがもう一度戦争について考えなければならない時は想像以上に近くに迫っています。お2人が今回の広島訪問を経て、平和協力への具体的な精力的行動を再確認したように、私も自身の中で今回の訪問を消化し将来の糧にしていきたいと強く感じました。
お2人とは夕食時などに平和以外の移民問題など世界が抱える問題についても話し合いました。
島国日本と内陸国オーストリア、今まさに学びの徒である大学生と、学を実践し実際に活動している大人。当然のことながら、全ての社会問題について新鮮で興味深い視点をいくつも教えていただきました。
この経験こそが、私が今回得た最も意味あるものだと思っています。
もちろんこの他にも、プラン作成力の実際を拝見したり、海外の方の日本の印象などをお聞きしたり、日常の勉強では学べない多くのことを学びました。全てにおいて、これからの道を模索している私にとって、新鮮であり、発見であったと感じています。
最後になりますが、このような貴重な機会をくださいました友愛、鳩山先生及び井上教授、そして日本の豊かな文化で彩られた4日間を共に過ごした同行の4人に心からの感謝を込めて筆をおきます。
友愛が目指す平和な世界
—— 友愛嘱託・通訳家 河口ハルトマン・ミヒャエラ
友愛との初めての出会いは3年半前で、友愛ドイツ歌曲コンクールで優勝した、友人のソプラニスト藤井玲南様のご紹介がきっかけでした。
私はドイツのミュンヘン出身で、子供の頃から日本に興味があり、大学でも日本学を勉強しました。卒業後、日本で一年間だけ留学と思ったのですが、そこからあっという間に25年が経ち、今では日本が第2の故郷です。
友愛の理念(相互尊重、相互理解、相互扶助)を聞いた時に、本当に感動しました。友愛及びオーストリア勤労青年連盟(OJAB)との長い交流の歴史と深い友情関係も素晴らしいと思いました。
友好団体OJABからの派遣員のために東京、京都の見学、日本の文化の触れ合いなどの交流プログラムがありますが、その時必ず訪れるもう1つの町があります——広島です。
今年も、新たなOJABメンバー、ペトラ・ハイドラ氏とアドリアナ・バッサニ氏が来日、広島にも行きました。その時、私も同行することになりました。広島に行くのは初めてではなかったのですが、今回は特別でした。
9月2日、私達がまず向かったのは原爆資料館でした。そこで詳しい説明を聞きながら、写真、被爆者の遺品などを拝見しました。
OJABのお2人が真剣なまなざしで一つずつ展示されたものを見て、時々目に涙が溢れました。資料館の見学後、見たものと聞いた話にあまりのショックを受けた私達は無言のまま公園で歩きながら、自分の気持ちを整理してみました。あの8月の晴れた夏の日、一瞬にして10万人以上の命が奪われて、多くの方々が私達の想像を超える恐ろしい痛みや苦しみを経験したことは心の中に強く響きました。
2日の午後は、小倉桂子様が私達のために特別講演をして下さいました。小倉様は被爆者であり、私達に熱心にあの日のことを語ってくれました。
その時、頭の中で「なぜ人間はこんなつらい思いをしなければならないでしょう?どうしてこんな悲惨な事が起きたにもかかわらず、まだ世界中で戦争が続いていて、核兵器が姿を消してないのでしょうか?2度ともうこんな恐ろしいことが起こらないように自分で何ができるのか?」ずっと考えました。
被爆者の方との出会いは一生忘れられない出来事でした。
広島で感じたことを何かのかたちで私の故郷ドイツでも多くの人に伝えて、世界がもっと平和なところになるために頑張りたいと思います。
人間がもっと友愛の理念を守れば、世界から戦争や悲しみが消える日が近い将来に来ると信じています。
- 松井広島市長にはお忙しい公務の中時間を割いていただいた。来日の2人もOJABの姿勢を伝えた
- 広島市庁舎、市長応接室で記念撮影。松井広島市長には、鳩山由紀夫理事長より親書が届けられた
- 被爆者である小倉桂子さんから、被爆体験を聴講。全員の心に深く刻まれた出来事であった
- 原爆ドームを背景に。原爆資料館見学、被爆体験談拝聴の後で、全員の面持ちがこわばっている
- 友愛サロンでフォーラムを開催。今、世界を見つめて何をすべきかなどをテーマに話しあいが進んだ
- 小学生、中学生を交えてのフォーラム。鳩山理事長も真摯に自らの思い、友愛について話した
- 若者らしいアングルで伏見稲荷での記念撮影 右から2人目が筆者小林沙衣さん
- エヤップの2人のたっての願いで、谷中の鳩山家のお墓に墓参。真剣な面持ちで手を合わせていた
- 鳩山家の象徴の一つ、鳩山会館を見学。素晴らしい歴史が残されていると感激の面持ちだった
- 鳩山由紀夫理事長を囲んで。歓迎昼食会が開催され、日本料理にキレイ!オイシイ!の連続
- 京都では日本の伝統文化体験として着物(浴衣)に着替え、街を散策。同行の二人も同じ体験を
- 世界遺産厳島神社・宮島を見学 暑い陽ざしの中元気に行動 写真左端は筆者ミヒャエラさん