Activity2018年度の活動内容

友愛創立65周年記念大会開催

鳩山会館に120名が集結
これからの友愛の発展を期して
5年ぶり会友が一堂に会す

5月19日(土)鳩山会館において、友愛創立65周年記念大会が開催された。80%以上の降雨予報をよそに、晴天に恵まれ120名に及ぶ会友・関係各位が出席、記念大会は成功裡に執り行われた。写真とご挨拶のスピーチをご紹介、報告とします。

式典は12時より開始され、庭に設えた特設会場に約120名が出席した。
式の進行は、芳賀大輔理事が担当、12時に開式宣言を行った。
式典にあたり、一昨年6月21日に逝去された鳩山邦夫前理事長はじめ物故会友に1分間の黙祷が捧げられた。
続いて友愛創立以来、友愛活動の牽引役を務めてきた川手正一郎常務理事・大会実行委員長より大会宣言が述べられた。
鳩山由紀夫理事長が挨拶に立ち、今日あることの喜びを述べると共に、今後の友愛活動についての方針・思いを熱い口調で語った。
来賓代表として挨拶に立った中華人民共和国在日大使館程永華大使閣下令夫人・汪婉参事官は、思い溢れる話し方で、友愛活動を称えるえる祝辞を述べた。
出席の来賓が紹介され、それぞれに大きな拍手が湧いていた。
鳩山会館を背に、青空のもと参加者全員が笑顔で記念写真に納まり、まさに友愛でなければ成し得ないと思われる素晴らしい記念写真が出来上がった。
記念撮影後、会場を館内の2階ホールへ移した。涼しい2階ホールで、全員ほっとしたところで、祝電の披露、鶴巻克雄特別顧問による乾杯へと続いた。

祝電披露 ー 順不同

参議院議員森本真治様(鳩山友愛塾一期修了生)
衆議院議員鳩山二郎様(鳩山邦夫前理事長次男)
成澤廣修様(文京区長)
中華全国青年連合会様
中国青年国際交流中心様

大会宣言 川手正一郎大会実行委員長

心配していた天候にも恵まれ、こうして皆様にお集まりいただけたことを本当に嬉しく思います。
今目の前に浮かぶのは、昭和28年4月29日、日比谷公会堂における結成大会の様子です。爾来鳩山一郎先生から多くの教えを受けました。友愛の原点は愛である、愛の原点は利他であるという言葉を、私自身の生命の原動力として今日まで65年間続けて参りました。当時の20数名の執行部は、今ここにいる鶴巻先生、高杉さんと私の3名になってしまいました。
これからの友愛は、新しい友愛としてスタートを切る記念会でもあります。今日まで支えてくださった鳩山家のご支援に心より感謝を申し上げます。

鳩山由紀夫理事長挨拶

今日こうして友愛を支えてくださった皆様にご参集いただけましたことは、感激ひとしおであります。中国大使館程永華大使閣下令夫人、汪婉参事官にもご臨席をいただき、感謝申し上げます。友愛は世界各国と友愛の理念の基、友好関係を築いておりますが、特に中国とは2000年から始まった植林活動、その他写真コンクール、講演会などを実施させていただき、ご縁を大切にして参りました。川手正一郎常務理事は、植林活動での実績を認められ昨年「国家友誼賞」という大変栄誉のある賞を、政府より送られております。
こうした活動が続けられましたのも、皆様からご支援、ご協力をいただいたおかげであります。申すまでもありませんが、友愛は、鳩山家の個人的なものではありません。今こそ世界の中で、特に日本において必要な思想、哲学ではないでしょうか。
この65周年を機に、更なる社会貢献を目指して、公益法人化を申請しています。弟の邦夫もそのような形での友愛の発展を喜んでくれていると思います。
友愛の思想が、世界に広がっていくよう思いを込めて、今日ここに皆様が集い喜びを分かち合えたことを感謝申し上げ、ご挨拶といたします。

中華人民共和国在日大使館/程永華大使閣下令夫人
汪婉参事官祝辞

みなさん、おめでとうございます。友愛の65周年に対し、程永華大使を始め、中国大使館を代表してお祝いを申し上げます。
故鳩山一郎先生の提唱された友愛の理念が、鳩山邦夫先生、井上和子先生を始め、友愛の皆様方の半世紀以上に亘るご尽力によって、今日という日を迎えたのだと思い、お祝いを申し上げるとともに私は大変感動をしていることをお伝えしたいと思います。
鳩山由紀夫理事長は、友愛理念を世界に広め平和な世界を実現したいというお考えのもと、活動を続けていらっしゃいます。特に中国に於いては、永年に亘る植林活動を始め、中国の大学に於いての講演会、そしてカメラで友愛を語り、平和を語る「友愛国際写真コンクール」の開催など、多くのことを実践していらっしゃいます。感謝申し上げます。
先ほど、川手常務理事が受賞された「中国国家友誼賞」ですが、もう少し詳しくお伝えしたいと思います。これは全世界で50名にしか授与されない、中国が外国の方に差し上げる最高の栄誉賞です。川手常務理事は『植林は人と人の心をつなぐ絆、緑は平和のシンボル』と植林現場などでおっしゃっています。この言葉はとても感動的で、国家友誼賞を受賞された川手常務理事、そして「友愛」に改めて大きな拍手を送りたいと思います。
これからも友愛の理念が、日本中に、世界中に広がっていく事を、「友愛」が大きく発展されますことをお祈りして、ご挨拶とさせていただきます。
長くなってすみません。

乾杯 ー 鶴巻克雄特別顧問

私がこの音羽の坂を上がって以来、65年の歳月が流れました。身体は年齢を重ね、変化しましたが、友愛の想いは一度も変わることなく今も私の心の中で燃え続けています。
今日まで友愛を支えてくださった鳩山家、井上家に感謝を込めて、そして「友愛」の永遠なることを願って乾杯をしたいと思います。

65年を顧みて ー我が青春を思うー
常務理事 川手正一郎

私が友愛に入会した経緯は、昭和27年11月鳩山一郎先生にご拝眉いただいたことです。そして、翌年の4月29日、友愛の結成大会に参加、自称会員第1号となりました。入会した翌日、私は溜池の友愛事務所を訪ねました。結成大会の余韻に興奮していた故か、奥田、渡辺、中村の3氏に会い、友愛の将来について熱く語ったことを今でもはっきり覚えています。
そして「友愛とは行動である」と、結論を出し、5月3日、奥田さんと2人で有楽町の数寄屋橋で友愛新聞を配りました。
また5月初旬、友愛の事務所を、溜池から音羽の鳩山邸地下室に移す事になり、中村君と2人で、引越荷物をトラックに積み、揺れる荷台で、友愛について夢中で話しました。その時の中村君の表情を今でも忘れません。20歳の初夏でした。
28年の夏から29年の春までは、全国組織を計画し、鳩山派の衆参議員の後援会青年部に働きかけ、会員獲得運動を展開しました。議員会館の先生方の事務所に伺い、会員紹介をお願いしたのです。
東京では鳩山先生の選挙区は勿論、中野区の花村四郎先生、豊島区の中村梅吉先生には特にお世話になり、何度も事務所や自宅に行き、多くの方々に入会していただきました。
また三重県の川崎秀二先生や島根県の山本利寿先生には、格別に協力していただきました。
友愛結成1年後の昭和29年には、友愛の具体的運動とは何か、執行部で激論し、小生が、日本のチベットと当時呼ばれた東北五県(岩手・青森・秋田・山形・福島)の僻地に、新生活運動と、友愛を普及する計画を提案しました。計画には全員賛成でしたが、最大の問題は派遣費でした。
どんなに節約しても映写機16万円、フィルム他経費4万円、40日間の交通費、宿泊費10万円、計30万円の資金が必要でしたがお金がありません。当時の友愛の予算は、月7〜8万円位でしたが、その資金は、鳩山家、北炭、鹿島、富士鉄、東京ガス、ブリヂストン、長瀬ゴム等の会社からご寄付いただき、運営していたのです。
発案者である私は、どうして良いのか見当がつきませんでしたが、取敢えず、既にご寄付いただいている会社にお願いしてみることにしました。
最初に伺ったのは東京ガスでした。飛び込みで伺いましたが、幸運にも、安西専務が会ってくれました。何を話したか覚えていませんが、友愛精神と友愛移動文化映画班の主意を懸命に訴えたと思います。
安西専務は一呼吸おいてから、その場で承知し励ましてくれました。
青天の霹靂とは、こんなことでしょうか、訪問する前は、1万円か2万円お願いできたら、最高と思っていたのに、専務にお会いしていただき、突然思い切った金額20万円をお願いしたのです。OKという全く予想外のお言葉に一瞬専務の顔が見えなくなりました。
この素晴しい体験で、私は人生とは、チャレンジと勇気だと胆に銘じました。
21才の学生でも、一所懸命になれば、理解し協力していただける、人生最大の感動を噛みしめました。今でもその光景を、時々思い出し、心の中で手を合わせます。
予算30万円のうち20万円をいただきましたので、その後の10万円については、ご寄付いただいている会社にお願いしたりしましたが、主に東洋経済の宮川会長にお願いし、4月までに30万円の目標を達成し、計画を具体化しました。
6月末には各県の社会教育課を尋ね、地方の事情について情報を得、7月20日から8月30日までの日程で「第1回友愛移動文化映画班」の計画を実施しました。
尚、2年目からは、鶴巻、柳沢両会員に、歯科診療をお願いし、日中は歯科診療、夜は講演と映画の会、そして映画終了後、地元青年団との深夜までの懇談会でしたが、訪問地では、歓迎と感謝で、重い機械を担いだ日々の疲れが一気に吹っ飛ぶ感じでした。
以上が友愛創設時の活動の一端です。
また29年からは、毎年5月に全国大会を開催しておりました。
創立以来の友愛の諸活動につきましては、友愛概論に記してありますので、ご覧いただければと存じます。(編集部註:HPに上公開)
顧みますとこの65年、私は友愛とともに過ごしたように思います。大学を卒業し、友愛運動を続けたいと思っていましたが宮川先生(前出)から、政治を勉強するには、経済を勉強しなさい、経済を勉強するなら証券会社が良い、証券会社へ入社しなさいと諭され、31年11月突然証券会社へ入社しました。友愛運動から離れる事は小生にとってなんとも遣る瀬無く、覚悟して社長に友愛の思想や活動について話してみました。叱られると思っていましたが、意外にも共感していただき、勤めながら支障ない限り友愛活動を許されました。また3年後友愛山荘建設に当たっては、庭にパターゴルフのコースを寄贈していただきました。
「窮すれば通ず」という言葉がありますが、人の世は「叩けよさらば開かれん」と改めて有難く思いました。
しかしその後会社での仕事は年々増え、部長を命ぜられてからは超多忙、二股では部下に申し訳なく、仕事か友愛か、進退極まる感じでした。悩み抜いた末、自らの将来を考え、独立する以外ないと、29歳の時起業を決断し、今日に至りました。
以上が簡単な友愛創立から65年間の私の歩みです。
さて私にとって友愛とは何か65年を振り返り考えてみました。私は友愛入会前、利他という言葉に出会い、それを人生の羅針盤と心に誓いました。鳩山一郎先生にお会いし、友愛を知り、利他とは友愛だと閃いたのです。以来私の生きる力、生命となりました。
私はこの65年、友愛を信じ、多くの皆さんと出会い、友愛とは目標に向って己を磨く事、窮極の人間像は孔子の「従心所欲 不踰矩」や墨子の「兼愛」ですが、大切なのは欲望を無にすることでなく、欲望をどうコントロールするかだと思います。
そんな心境で晩節を迎えました。
20歳から今日まで、友愛とともに歩んだことを、幸せに思うと同時に、鳩山家をはじめ出会ったすべての方々に、心から感謝します。
そして、命は人間だけのものではない、地球上のすべてと「ともに生きてゆく」です。
65周年を契機に友愛は新名称、新メンバーで船出しましたが、世界の平和と人々の幸せの為に躍進するように期待します。

友愛 活動詳細
のトップに戻る