Activity2022年度の活動内容

2022年度OEJAB派遣員からのレポート

2022年度OEJAB派遣員からのレポート

充実の日々を自ら撮影した写真と共に

公益財団法人友愛/国際交流事業の一環であるOEJABへの学生派遣事業が3年ぶりに実施されました。
派遣員5名が現地で過ごした充実の日々を、それぞれの派遣員から寄せられたレポートと、各人が撮影した写真と共にご紹介します。
今回は2022年度第一陣として2020年度派遣員・2021年度派遣員の混合構成で実施しました。第二陣は、2022年度派遣員と同様に、2023年3月に派遣実施予定です。

築きあげること
東北大学4年 舘 宏輔

オーストリア最大の公益団体であり、友愛の姉妹団体であるOEJABへの派遣が三年ぶりに実現した。以前からOEJABの難民の現状や受け入れ事業については耳にしていたものの、机上の空論で終わっていた。百聞は一見に如かずではないが、やはり実際に現場を訪れてこそ気付くことは非常に多数あり、実りある訪問となった。
昨今の世界情勢が不安定な時期に、派遣を実現してくださったこと、本当に感謝しております。
まず我々はOEJABの難民施設を訪れた。ここには以前からシリアやアフガニスタンの難民が集う他に、ウクライナからの難民の方々も約50名暮らしていた。実際にウクライナからの難民の方々と食卓を囲みながら現地の現状や心理状態について伺う機会をいただいたのだが、(写真1・2)印象的な言葉は「可能であれば母国へ帰り家族と一緒に暮らしたい」。時折素敵な笑顔を見せながら語ってくれたのだが、どこか目の奥は笑っておらず疲弊しているように感じられた。
OEJABの本部で、OEJAB発祥のルーツと現状についてお話を伺った。(写真3)OEJABはブルキナファソに深いルーツがあるが、地政学的状況から事業が発展できていないという事が新たな知見として得られた。本部には、友愛とOEJABの旗が置かれていた。(写真4)OEJABの旗には、出身地や母国がどこであれ、人類は皆繋がり合っているという相互扶助の意味が込められていた。
写真5は、OEJABの職業教育学校での疑似体験である。ここでは、ガラス製造、電気回路の整備、二輪車のメンテナンスなど様々な職業に特化した教育を受けることができる。ただの技術的な教育だけではなく、各分野で必要となる専門用語や専門知識のインプット指導も行われていた。(写真6)OEJABが求職者に差し伸べる仕組みが想像以上に整っており、日本にはここまでの扶助施設は存在しているのだろうかと思いを巡らせた。
そして国連ウィーン事務局とCTBTOも訪問した(写真7・8)。ここでは、世界中の核開発施設の状態監視を行っており、(写真9)世界平和のための核実験禁止に向けた管轄がなされていた。しかし、大きな問題だと感じたことは、主要な核技術保有国のうち、インドや北朝鮮、パキスタンはCTBTに署名すらしていないということである。如何にして、核開発を進める国々の条約加盟を促すかとういうことが今後の課題であろう。
そして最後に、渡航中に出会った様々な人を紹介したい。
写真10はウィーン楽友協会でのコンサートチケットを売っていた人である。何人かそのような人を見かけたが、皆写真のような音楽家の格好をしていた。何かのキャッチによる一種の詐欺と疑ってしまい、彼からチケットを買わず、別のレシプションデスクでチケットを買ったことを少し後悔。写真を撮らせてもらった代わりに彼の営業成績に少しでも貢献すべきだった。音響はやはり世界三大コンサートホールと言われるだけあった。が、今後訪れる人には立ち見席はオススメしない。格安で買ったのは良いが、二時間の立ち見による疲労で音に集中できなくなる。
もう一人の人物は、スロバキアで出会ったチェコ人の科学者である。(写真11)
彼とは、ブラチスラヴァ城の登り道で出会った。頂上までの道順が分からず私一人で道に迷っている時に、私の後ろにいた彼に声をかけた。すると、彼は「オレも道が分からなくて、ちょうど助けを求めていた」と発言。すぐに意気投合し一緒にスロバキアを周遊することに、まさに相互扶助の場面であった。
OEJABの施設で開催されたBBQでの出会いも印象に残っている。(写真2)
とても美味しいBBQで、日本から来たということで招待されたのだが、こんなに美味しい料理を提供していただき、本当に感謝の念しかない。せめての想いをと懇切丁寧にBBQ主催者やコックさんに気持ちを伝えた。聞けばコックさんは、BBQ世界大会のチャンピオンの息子さんだそうで、なるほどと頷いた次第。(写真13) 以上のように相互扶助の場面は世界中どんな場所でもどんな時でも起こりうる。OEJABや友愛が今までに築き上げてきた世界的ネットワークを活用しながら、その一メンバーとして今後も世界の繋がりを強固にできる人材になりたいと、改めて強く思った。

ところ変われば
東京大学4年 浦 彩人

学生のうちに海外経験はしておくべき」という言葉をよく耳にする。
しかし、今の時代ネットや写真付きの書物があるのだからと、わざわざリアルな世界へ踏み出す意義を見いだせない人は多いだろう。
私もかつてはその一人で、コロナ禍も災いして海外渡航の経験がなかったのだったが、自身の英語力を活かす場所が国内でなかなか見つからなかったこともあり、その考えから抜け出ることが無いままにいた。
しかし、本プログラムに参加した結果、「リアルの経験は人づてや書籍、インターネットといった仮想的なそれに大きく勝る」という認識に至った。
本研修の中でOEJAB本部を訪れた際「SNSなどを通した友情が存在する現在、君に本当の友人はいるのか」と問われた。(写真1)
その際に私は「友情はお互いに与え合った情報量の多さに応じて深まる。リアルと仮想とでは与えられる情報の密度に違いがあり、リアルの情報量に仮想空間で得られる情報は追いつかないため、SNSなどはあくまで友情を始める接点である」という回答をした。考えてみれば、情報量によって生じる理解度の差というのは友情のみに止まらず、日本とは異なる国における様々な生活の差に関しても言えるのだ。
我々は異国との差異で、エネルギーや文化などといった難しい内容を考えがちだが、もっと身近なところから顕著な違いが生じている。まず驚かされたのは鉄道の扉だろう。首都ウィーンでさえ全ての車両は手動式であり降車の際にも自分で開ける必要があった(写真2)
交通も異なれば食事も異なる。日本人とは体格が異なるためか料理も日本のそれよりも大きく、味も日本のそれとは比べ物にならないほどに濃い。(写真3)また日本ではスーパーより少々割高なだけの自動販売機もオーストリアでは品目によってはスーパーの2倍ほどしており余程困った場合にしか使わないものである。(写真4)
インフラが違えば、法律も国によって異なる。有名なのはEU圏内ならパスポート無しで海外へ行けることだろう。これを利用して自由行動の日に私は隣国スロバキアを訪れたが、気付かぬうちに国境を超えていて新鮮な気持ちになったのを強く覚えている。(写真5)
また、観光名所にはスーベニアメダルの自動販売機が設置されており、これは日本にも見られるが、大きな特徴はメダル作成に実際の硬貨を用いていることだ。日本では硬貨を独自に加工することは法律によって禁じられているため、この制作風景にはとても驚かされた。(写真6)
また、日本では電動車を運転するには免許を取得する必要があるが、オーストリアではウィーン市内をはじめとして街の至る所に電動スクーターが放置されており、アプリさえ入れれば免許なしで誰でも運転することができる。(写真7)
首都ウィーンでは勿論道中訪れたザルツブルクでも観光客が騎乗できる馬車が準備されており、これは日本でいうところの人力車に当たる(写真8)
以上のような差異とは対照的に、OEJABが対処している社会問題は日本のそれと似通っている。
OEJABにより運営される老人ホームでは介護の担い手不足が深刻であるという旨の発言があり、また職業訓練学校では世間からの偏見により存在を隠したがる人も多いという情報もあった。(写真10)
現在我々が抱える様々な社会問題は上記のような文化的な違いとは関係なく普遍的なものであると認識するに至り、それ故に我が財団の抱く理念である友愛は日本国内だけではなく世界に発信するに値する信条であるはずだ。

街に咲く花々
東北大学卒 計良 衛

今回のオーストリア研修では、普段の旅行では体験することの出来ない貴重な経験を数多く積むことが出来ました。その中でも印象的だった内容について、いくつか書きたいと思います。
オーストリアへ出発する三日前まで,山や森に囲まれた北海道の田舎でアルバイトをしていた私にとって、ウィーンの美しい街並みは別世界の様に映って見えました。歴史を感じさせる建築物や企業のオフィスが所狭しと建ち並ぶ一方で、街に点在する公園の花壇には色とりどりの花が植えられていたり、飲食店のテラスには花の咲いた植木鉢が置かれていたりなど、人々の生活と自然との調和の取れた景観が印象的でした。
特に、ハプスブルク家の人々が暮らしていたシェーンブルーン宮殿と、宮殿の前に広がるお花畑の組み合わせは壮観でした。
ウィーン中心部から郊外に移動する際に車から見た畑の眺めは、向日葵や小麦、大豆など様々な農作物が比較的小さい区画で植えられており、様々な色が組み合わさってきれいでした。日本では単一色の畑や田がどこまでも続いている眺めを良く目にするだけに、これまで見たことのない眺めでした。
研修三日目にはシェーンブルーン宮殿にほど近い場所にある、青山光子さんのお墓のお参りをしました。(写真10)事前研修での勉強や、前日に光子さんが暮らしていた家の見学をしていたこともあり、友愛にも関係が深い光子さんの生涯に思いを馳せました。現代に生きる私でさえ、オーストリアと日本との言語や文化の違いに苦労することを考えると、日本では国際結婚が一般的ではなかった時代に、光子さんがオーストリアへ渡り生活されていたことは凄いことだと思いました。
同時に、海外に行く際に墓地を訪れることはあまりないため、海外の墓地の様式を見ることができたことも貴重な経験でした。日本では珍しい石棺があり、石棺の上に花が植えられていたのが印象的でした。
エヤップの職業訓練学校では施設の見学に加えて、学生の実習内容を実際に体験したり、授業の様子を見学したりしました。職業訓練学校は、様々な事情で学校に通うことや、職業訓練を受ける事が難しい移民や難民、オーストリアの人々が学んでいました。
私たちは実習体験として、ガラスの切断と接着を行いました。実際に体験してみると、ガラスカッターでガラスを切ろうとしても思い通りの形に切ることは難しく、仕事とするにはしっかりとした技術の習得が必要だと感じました。
(写真9)施設では家具の製作や自転車の修理、座学として専門用語のドイツ語なども教えており、現場で即戦力として働くことのできる教育をしていることが分かりました。
施設の最上階は精神的な問題をはじめより困難を抱える学生向けの訓練施設となっており、カウンセラーなどと協力しながら丁寧な支援をしていました。学生と直接話す機会はありませんでしたが、休み時間は楽しそうに談笑をしていながら、授業には真剣な態度で臨んでいる姿が印象的でした。
「研修プログラム」ではありませんが、国連からほど近いドナウ公園で、チェスをすることができると聞き、皆でドナウタワーに上った後に一人で出向きました。(写真7)
そこは参加者の殆どがお年寄りで、通常のチェス盤や珍しい巨大なチェス盤を使用していました。私は小学生の時に地元の公園でお年寄りに混じって将棋を指していましたが、その雰囲気に近いものを感じました。英語が全く通じなかったこともあり、当初はチェスをしたいと頼んでも断られてばかりでしたが、最後にようやく最初に声を掛けた方が相手をしてくれることになりました。対局は、快勝でした(かなりのハンディを頂いたので)全く言語の通じない外国人とチェスをしてくれたその方に私は友愛を感じ、感謝の言葉と友愛の手ぬぐいを渡しました。
今回の研修では友愛の歴史について学んだり、エヤップの活動について知ることができたり、そして見知らぬ方と交流ができたりと非常に有意義な体験を重ねることができました。
また、街の様々な場所で咲く花々や、市場で見た珍しい野菜は、農業に取り組む私にとって非常に刺激的でした。この様な機会を提供してくださいました友愛の皆様、そして受け入れ先のエヤップの皆様に心から御礼申し上げます。

オーストリアが私に教えてくれたこと
東京女子大学卒 手塚 七彩

全ての人と人との出会い・繋がりを大切にする。
今回の滞在を通じて一番印象に残った言葉です。エヤップ事務所に訪問した際、エヤップは1963年からブルキナファソの支援をしているとお話がありました。きっかけは、元会長が学生時代の頃、ブルキナファソからの留学生と宿舎が一緒だったこと。そんな人と人の小さな出会いが、60年以上続く組織と組織の強い繋がりとなり、大きな成果を生み出していることに感銘を受けました。
「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」アフリカにはこんなことわざがあるそうです。国籍・人種・性別等に関わらず、全ての出会いを大切にし、他者と繋がり、巻き込むことが大きな成果を導く。正に、ことわざを体現したようなストーリーを聞くことができ、その重要性を改めて感じました。
当時の元会長は、ブルキナファソを支援したいという想いで留学生と関わっていたのではなく、一人のクラスメート・友人として彼と様々な時間を共有したのだと思います。それが、年月を経てエヤップとブルキナファソの強力な絆へと成長しました。何気ない出会いを大切に、国籍・人種・性別等の壁を越えて、誰に対しても誠実な気持ち、優しい気持ちで接する。その小さな積み重ねが大きな成果となったのです。我々は大きな成果に重点を置きがちですが、小さな積み重ねこそが友愛の本質なのではないでしょうか。
とはいっても、日々の生活に忙殺されていると、他者への誠実さ、優しさを持つ余裕がなくなってしまうことがあります。暗いニュースに気分が落ち込み、自分は無力だと虚無感を感じてしまうこともあります。そんな時には、オーストリアで出会った美しい景色と親切な人々を思い出しながら、他者との出会い・繋がりを大切に出来る温かみのある人間を目指したいと思います。
エヤップ派遣に応募したのは大学生四年生の時。当時の私は、友愛とは、支援や手助けなど何か大きなものを与えること、そう考えていました。派遣の延期が続き、今では社会人二年目です。時を経たからこそ、今回、友愛とは、何か大きなことを成し遂げるだけでなく、その過程となる一つ一つの小さな出会い・繋がりを大切にする気持ち、すなわち他者への誠実さ・優しさの積み重ねなのだと新たな気付きを得ることが出来たのだと思います。仕事の都合で限られた日程での参加となりましたが、学生の時とはまた別の角度から友愛について考えることが出来ました。
最後になりますが、このような貴重な機会を頂きありがとうございました。新型コロナウイルスの影響が未だ残っている中で、これまでの派遣以上に気を遣うことが多かったと思います。そのような状況下でも、私たちの機会を奪うまいと試行錯誤し、快く送り出してくださった友愛関係者の皆様、途中参加にも関わらず温かく迎え入れ、一緒に訪問してくれた派遣団のみんな、マイペースすぎる私たちを親切にアテンドしてくれたニック、多くの人に感謝したいと思います。

初めての欧州、初めてオーストリア
東北大学卒 鈴木 健太

待ちに待った友愛のOEJAB派遣事業(私自身の参加は9月6日から13日の8日間)が実施され、難民受け入れ施設の見学やOEJAB本部訪問・交流等非常に貴重で、かけがえのない体験を味わうことができました。
そんな体験をさせていただいた友愛やエヤップなど関わった方々全てに感謝申し上げます。
本レポートではそのなかでも特に印象に残った出来事を二つ紹介していきます。
まず一つ目は、難民や移民の学生たちも私たちと同様に勉強し、遊び、喜怒哀楽を表し、日々を生きているということです。
日本で生活をしていて私は未だ難民と出会った経験がありませんでした。今回が初めての出会い、そしてお話しする機会でもありました。そこで思ったことは、「生きるために仕事に就く」という意識が日本人よりも強いのではないかということです。もちろん仕事に対しての考え方は人それぞれですが、その中でも職業教育学校に通う人は仕事への意識が、私たち日本と比べるとより真摯に向き合っていると感じました。
また、学生たちも、様々なバックグラウンドを持っており、もちろん私たちと同様に仕事を探すために勉強し、自己研鑽を行っています。異国の地で懸命に勉強している彼らの姿を見て、自分もより一層目標に向けて頑張ろう!と良い刺激を受けました。
二つ目は、難民受け入れについての議論や話題が、政府やエヤップ等の専門機関だけでなく、市民団体、ローカルコミュニティでも盛んに交わされていることに驚きました。
メドリング市長との会談等を通じて、地域全体で難民への取組を考え、実行している様子を肌で感じました。同時に、日本でもこういった議論の活性化を目指すべきであると痛感しました。
日本の難民支援は金銭や物資供給の側面では協力的になってきていますが、相変わらず難民受け入れに関しては消極的です。ロシアとウクライナのニュース報道は頻繁に取り上げられていますが、難民についてどうこうというニュースはほとんど目にしません。
日本は安全な国とPRしているものの、法制度等の諸課題によりまだまだ難民受け入れ実績が乏しい状況です。オーストリアのようにローカルコミュニティレベルで興味・関心を持ってもらうためには、こういった現状を知っている者が積極的に発信して呼び掛けていくしかないと思います。
昨今SNS等様々な情報に触れる機会が多いメリットを生かし、弱い紐帯を糾う如く、一人一人の想いを集結した力を発揮していければ世論を動かすきっかけになるでしょう。
そうした発信をする役割を今回渡航した私たちが担い、身近なコミュニティから広めていきたいと思います。
ウィーンは街全体が世界遺産というだけあって、その有様は、言葉に尽くせません。目に入る景色全て鮮明に覚えています。帰国した今では「もう一度行きたい国No.1」です。今回の研修では友愛の歴史、エヤップの活動内容等について詳しく学ぶことができ、非常に有意義な時間を過ごすことができました。また、文化観光もでき大満足です。
このような機会を提供してくださった友愛の皆様及び、受け入れてくださったエヤップや多くの関係者の皆様に重ねて厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

友愛 活動詳細
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